氾濫原3


思います。
そして、思いませんか。

探そう。

生きる術を。

すがすがしい朝の目覚めを、その充実感を。





僕たちが建って生きていた台地が、揺るぎ無いものではなかった。

それに気づいたとき、僕たちの命が尽き果てる現実を見ました。


エネルギーの現実は、

人の欲にまみれた価値観の中、人のつくり出した狡猾な器の中で、

さらに狡猾に練り上げられ、卓越した手練の錬金術により、人の作り出した価値観の冨を築きあげてきた。

震災後も変わることなく続いている。

ハイエナのような電力子飼いの会社。

今『いわぬまの地』で、さらにその腐肉を貪っている現実は、不愉快極まりないものです。




苦悩に差し出される手に、自らの手を差し出したことがありますか?

そしてその手が、冷たく握る力を失っていく、そして沈んでいく。


永遠の造形物などあるわけはない。

なのにどうして、原発の構造物だけが神格化され続けてきたのだろう。

地震が起きたら逃げる場所は、原発だと豪語していた人。

責任のない言葉ですね。

いまだにその人物が浮世の人の作った価値観の中で大きく生き残り続けていることからも、

その言葉に、責任の所在は感じられません。